【完】

わたしは間も分からずどたどた愚鈍な足音をたててやってくるだろう仲居に、 ナイフを見られないよう新聞紙でぐちゃぐちゃと包んで男の鞄に入れた。 紙が音をたてているのに男はぴくりともしない。 定期的な寝息が聞こえてきて、なんだかわたしは無性に苛立っ…

【七】

戻れない事などは、この男が一番知っているのだろう。 「つっ」 と小さな舌打ちがわたしの口をついて出た時にはもう、 もう、男は泣きじゃくり肩を畳に落として動くのもままならない様だった。 いつのまにか障子は白み、朝が戯れ事を払拭する時間。 わたしの…

【六】

そう、「愛」なんていう言葉で計れるものなら何でも許せる事になってしまう。 わたしはそんなに莫迦ではない。 莫迦ではないが「愛」の正体も知っている。 枯渇した彼のはらからや、緩んだ目元が可哀想でしようがない。 それを彼が言うところの「愛」で包ん…

【伍】

そうしてしばらく男は呆然とした後、 「愛」 だなどという言葉を引っ張り出してきた。 …わたしの前に愛を並べてくれたところで、 ケサランパサランを見た時ほどには及ばない。 「ひどいひどい」 と泣き漏らす。 うぐいすが啼く。 啼く。 わたしの感覚はます…

【四】

時計というものがどこかにあるんだろうねえ…とにやにやしながらわたしは回りを見回す。 なんていうことかしら、この散らかった部屋には時計がないの? あるのはただ、丸い皿のようなものに文字が刻まれた羅針盤のみ。 それで時間を計ろうなんてどうかしてい…

【参】

夢現などという俗っぽい言葉。そのような何にでも言い換えられそうに酩酊と快楽の中で喘ぎを嗚咽を響かせるわたし達。可哀想に、彼は泣いている。組めど尽きせぬ欲望とわたしへの愛で泣いている。彼が捨てられないもの。捨ててはいけないもの。彼が守るべき…

【弐】

「ああ!」やっと合点がいった。そうかそうか…わたしは身動きが取れないまま男の素手で叩かれているの。また、しょうこりもなくこの状況がおかしくてたまらず思わずけらけらと声をたてて、ああ実際には口に咬まされている布のせいで声は出ていないのだろうけ…

【壱】

今ここで縄をかけられる。と、いうまでには多様な枚数があったのだろうけども…わたしに思い出せるのは畳の荒れた表面と目の前にある成人像のみで。そして、その像は動き出したかと思うと荒い目の茶色い縄を手繰り寄せては、肩にかけしゅるしゅると音を立てな…