【七】

戻れない事などは、この男が一番知っているのだろう。
「つっ」
と小さな舌打ちがわたしの口をついて出た時にはもう、
もう、男は泣きじゃくり肩を畳に落として動くのもままならない様だった。
いつのまにか障子は白み、朝が戯れ事を払拭する時間。


わたしの目はわたしを愛して現実を見失ってもいい、
などと安っぽい事を言う男を上から見下ろし。
心底、侮蔑の笑みを浮かべていた。
終わりだ。
わたしの体は、男の言うところの「愛情」でめちゃくちゃになっており、
体のあちこちが痛む。
まだ縄が解かれていない部分は、青くなりマネキンのようになっていた。
しかし、男の乱暴な行為のひとつひとつによって縄はふわりと肩から落ちた。
まだ嗚咽をもらす男を横目に、わたしは丁寧に縄を解く。
酒をかけられて、麻ひものようによじれていた髪の毛をほぐそうと…
よろよろと部屋についている風呂に浸かった。


さあ、遊びの時間はもう終わりだ。


風呂から上がり、すっかり生気を取り戻したわたしは、
嗚咽したまま眠った男に唾を吐きかけた。


この男は。
この男は現実が辛いのだ。
わたしに崇拝を求めた。
自分が優位に立っている気分であったろうが、
自分の置かれている状況から、わたしを崇めにやってくる教徒のようだった。
わたしをいたぶり、優越感を味わっている時に「愛」を口にし、
ありえない夢に浸っていた。
なんていうのだっけね。
不倫、とでもいうのか。
わたしたちの関係は。
さあ、遊びの時間はもう終わりだ。
わたしは前しか向けない、艶と微笑む毒蛾。
毒蛾の針にやられたのかねえ。


わたしはすっかり玩具にされた。
背負うものの重さに耐えきれずに玩具を探してる男の思うように振る舞った。
それは、ただ時間の浪費でさえなく。
睡眠の間の短い夢のようなもので、
それでこの男の家族がどうなろうとわたしにはせんないこと。


けれども少しはわたしにも愛情があったのだろうか。
男が何をしようと思ったのか、持っていたナイフであごから胸にかけて縦にすーと、
自分で刃を立てた。
血は薄くにじんで、浴衣を汚した。
もう充分だろう?